四半世紀の私反省記

みなさんこんにちは。

長編作品がはじまるタイトルですが大して長く続きません。

みなさんはやりたいことがありますか?

近々、勤務先の大々的な飲み会があるらしいです。
そこで若手は今後の進路や展望を発表するらしいです。
肝試し企画とはいかにも夏らしいですね。

会自体がうすら寒いのはもう見慣れた景色ではあるんですが、今後も現職業を続ける前提のような話しぶりがどうにも鼻につきます。
おじさんたちのサンクコストをごまかすために若くもない僕たちの無駄に長い老い先を酒の肴にしないでください。

最近は自分が何をやりたいのかわかりません。
小児期からなんとなくでやってきました。
学校なる施設で試された数字や言葉遊びや記号の丸暗記は人並みよりほんの少し良くできたので、親に褒められ、教師に褒められそれが自分の存在価値であるかのように振舞ってきましたが、数字や言葉遊びが評価されなくなった今現在はそれらにあまり興味関心はありません。
他者(親や教師)からの簡易的な承認のために結果を追求していた少年期でしたが、現在の私はそんな熱意を持って業務に取り組めません。
雇われである以上、既定の就業時間を守りつついかに実働を減らすかが重視するべきパフォーマンスであるわけです。

減らすべき実働に対しての意欲を尋ねられることの無意味さは言うまでもありません。
なんならすべての仕事をバックレて縁のない地方の温泉地にでも閉じこもりたいです。

しかし、実際に職場に話を付けて温泉地に閉じこもる許可を得たとして楽しくないんでしょうね。
おそらく本当にやりたいことは現在の自身のノルマからの「逃避」であって「逃避先」にはないわけです。
「死にたい」けど「状態異常:死」にはなりたくないわけです。


どうせ逃避できないまま世間の数百万いる畜生どもの一人として死んでいくんでしょうね。
世間は僕の先輩にあたる腐り切れてない生ごみでいっぱいです。
はやくカリブ海でビール飲んで大麻やって全財産失いたい。

中身のないビル

みなさんこんにちは。

一月半も更新がなくて申し訳ありません。

誰に対して謝っているのでしょうか。

 

先日の話なのですが、オーダーメイドの浴衣を発注してみました。

通りの呉服店の2階に通され、巻かれた生地を身体に合わせて仮留めして、帯を変えたり生地を変えたりしながらああでもない、こうでもないとされるアニメか漫画かでしか知らない体験をしました。

結局呉服屋さんと同行者に言われるがまま生地を選定し、出来上がりを待っている状態の現在です。
お値段としては思ったよりは高くはない印象です。和服は高い印象があったのですが、浴衣はそこまででもないようです。
和柄だけじゃなく、かなりサイケデリックな柄があったり、特殊な織り方をしているのか素材が同じでも生地の風合いに差があったりとなかなか興味深かったです。
美大出身の若手がつくった生地なんてものもあって、古風なだけじゃない分野なのかもしれません。意外でした。

 

ゲームでよくある「存在してはいるが入れない建物」ってあるじゃないですか。
街の景観をつくるための置物オブジェクト。
制作側の怠慢だ、とか、全部入れるようにしろ、とかって思ったこともないわけじゃないんですけど、ああいう入れない建物があるって現実に即しているんだな、と最近は考えています。
雑居ビル3階の雀荘とか、夜の仕事用のドレス屋とか謎の天然由来化粧品屋とか自分じゃあってもなくても変わらない施設って世界にたくさんあるんですよね。
そんなお店も誰かの主観だと重要施設なのかもしれません。

 

浴衣の話で何が言いたかったのかというと、この年になっても新たな体験っていいものだなあ、という話です。

年を重ねれば重ねるほど、新体験にはそれ相応のお金が必要ですがね……。

好きな食べ物は?

みなさんこんにちは。

三菱商事には入社できましたか?親のコネで組閣ごっこの記念撮影ができましたか?

 

「好きな食べ物はなんですか」

幼稚園や保育園で聞いたことのあるようなありふれたフレーズです。
しかし、20代も半ばを迎えた今なら人生のコクと深みをのせた回答ができるのではないか!?そう思い職場の同僚や後輩に聞いてみました。

A「寿司」→深みもくそもねえ、仕事出来ねえだけあるな

B「白米」→一周廻って深いな

C「いや、僕の中ではうな重が一番なんですが、あまりに強すぎるのでここは殿堂入り!ということにして1位カレーライス、2位唐揚げとさせていただきます!」→おう。

D「和菓子!」→かわいいね

E「肉類ですかねぇ・・・」→学生気分が抜けていない。

……等様々でした。

 

さて、同様に「将来の夢はなんですか?」

よくある質問ですよね。

これには各々結構答えを迷っていました。たぶん自分も現在から陸続きの何かをこたえられないと思います。たぶん「将来」が何年後を指すのか漠然としているからなんでしょうね。

開成出身の同期は「ボケてない70歳」って答えていました。なるほど。

つまるところ何が言いたいかというと、幼稚園の時のカス質問はまだ深められる余地がある、ってことです。

同じ職場の人間にしか聞いていないのでただ単純に遠くを眺める余裕を持っていないのかなあ、っていう気持ちもなくはないです。

 

以上、しょうもなの日記でした。

ちなみに自分の「好きな食べ物」は「白子ポン酢」で、「将来の夢」は「自由意思での自殺」です。

 

それではまた来月。

 

連休

みなさんこんにちは

連休最終日にこれを書いています。休みって麻薬みたいなもので、どっぷりつかってしまうと供給を突然断たれたときにびっくりしちゃいますよね。

そんな感じで連休中の雑感です。

 

25歳の春です。

なんだかんだ周囲も社会に迎合し始めたようで、僕と違う職種の人間ともたくさん世間話をした連休でした。

昔は仲が良かった人間でも今会ってみるとお互いに価値観が変容してしまって相手の冗談じゃ笑えないし、こちらのウィットも伝わらないなんて状況が珍しくなくなりました。これは同じ大学の人間相手でもそのうち起きるんでしょうね。嫌だなあ。

各々が各々の文脈をもって人生を歩んでいる証左ではあるのでそれ自体は喜ばしいものなのでしょうね。

 

世間は晩婚晩婚言ってますが、25歳時点で結婚する方は僕の周りには多いように感じました。

素直におめでとうございます。幸せに暮らしてください。

結婚式には呼んでください。いっぱいご祝儀渡しますから。

僕には山盛りの香典で返してください。

 

僕も知り合いのコネで1枚8000円レベルのステーキ肉を使ったBBQを火を起こすだけでタダメシさせていただける幸運をいただきました。

収入の多寡と暮らしの裕福さとは必ずしも一致しないということをまざまざと見せつけられた気がします。育ち、って領収書の多さに裏付けされたものかもしれません。

自分が中高生のころの連休よりも有意義な期間を過ごしたとは思いますが、結局個人の努力って大したことがないのかもしれないとわからされてしまいましたね。(おわり)

 

個々人の人生赤裸々暴露を回避しようとすると曖昧模糊な表現になってしまって文章の面白みを伝えきれないのが難しいところだと思いますね。

汚れつちまつた悲しみに

恋愛の話ではありません。4月分です。

みなさんこんにちは。お元気ですか。黄砂や花粉で体調を崩してはいませんか。

意外と桜はすぐに咲き、いまや葉桜です。
GWが最盛期だったのは僕のおぼろげな15~20年前の記憶のなかだけだったのかもしれません。

春になり、新顔が当施設にも増え、困惑することの多い日々です。
若者(自分より年長者も当然いるが。)の陽気に、1年間で擦り切れて垢まみれの自分はため息が出てしまいます。
やっぱり春って嫌いです。

嫌いだ、と言いながら毎年毎年ありもしない何かに期待して浮かれている自分が嫌いです。

自己嫌悪はここまでにして、内省以外の話をしましょうか。

 

このごろ彼女氏の影響もあるのか、ナチュールワインを飲む機会が増えてきました。赤でも発泡していたり、口当たりの軽いものが多かったりして驚きました。そういう製品を扱うこじゃれた小売店が街中、徒歩圏内に何軒かあるのも大きいのかもしれません。
安ストロング缶にストロー挿して飲んでくだを巻いている奴が飲んでいい物品なのかはいまだにわかっていません。

なにをあてにして飲むかについては文化レベルが追い付いていないので、スーパーのチーズとか塩茹でした鶏むねとか貧乏人丸出しです。

いいかげんにグラスを買おうとは思うのですが……(いまだにワイングラスの持ち合わせがなく、いつもの小樽切子なんかでがぶがぶ飲んでます。)

 

最近よくお世話になる職場の上司がいるのですが、家具好き・ワイン好き・洋服好きの圧倒的な散財体質のようで先日食事に行った際にも「70万の椅子買った~」と写真をみせてもらいました。食事を奢られながら彼の老後2000万円問題や、幼い娘さんの教育費が不安になりました。自分も気を付けようと思いました。

丁寧な暮らしといえば聞こえはいいですが丁寧な暮らしは維持費がかかるんだなあと実例を見ながら実感しました。

 

ワイングラスを買うのは丁寧な暮らしに必要でしょうが、自分にその維持コストが払えるかはわかりません。ワイングラスのある貧乏人になるだけの気もします。

他人の「丁寧さ」に合わせる機会が増えると自分の生活の粗雑さが浮き彫りになってしまって厳しいですね。おかげさまでもう半年くらい業務スーパーに行っていません。冷凍シーフードミックスと冷凍ブロッコリーで安アヒージョも作っていません。


増えたストレスを飲酒量と自認できないゆるやかな生活水準の向上で埋め合わせているのかもしれません。

学生の頃の清らかな貧しい質素な暮らしがいいものだとは思いませんでした。

精神的な余裕があったからできたことなのでしょうね。

ピカピカのワイングラスに業務スーパーの1.8L 600円の謎白ワインを注ぐくらいの暮らしが一番ちょうどいい。

そんな話。

桜咲かぬ4月1日に

3月分を書いたと勘違いをしていました。

書いていませんでした。申し訳ありません。

春らしいです。彼岸を越えて、まだ明るいうちに定時を迎えることができています。
曇りの少ない冬はやはりいいものだなあとしみじみ思いました。

通勤時にはまだ冬物を着てもいいような底冷えのする朝ですが、北東北の春なんてそんなもんです。

桜前線白河の関を越えたようですが、さすがに4月1日には間に合いませんでした。

 

1月~3月の冬は努力するでも苦役に耐え忍ぶでもなく、なあなあで過ごしました。お前、いつもなあなあで過ごしてるよな。
成し遂げたことといえば自分史上最長の襟足を手に入れたことくらいです。

我が愚弟は気付けば名も知らぬ4年制大学を卒業し、某全国展開の非上場住宅メーカーに勤めるらしい。あいつにも就職活動なんて高度なものできたのか。僕はできなかったのに。4月1日から静岡の山奥で1ヶ月のタコ部屋研修らしいです。社会は恐ろしいところだと再認識しました。なけなしの10万円を握らせて祝いってことにしたんですが、これって適正な額だったのでしょうか。渡すときに2人で食事に行ってみましたが、特に話すこと、なかったですね。男兄弟なんてそんなものでしょう。

毎年この時期は何もなしていないことに辟易しつつ、ため息をついてまた何も成さない一年の惰性に飲まれています。こんな駄文書くなら黙って粛々とやれ、って話です。

早くAIとやらが日付変更以降に登場する終わり爺婆を自動で帰宅させるマシンになるまで進化してくれ。
もしくは終わり爺婆がやけに陶器みたいな質感の肌のコスプレ極東人女みたいに見えるプラグインを作ってくれ。

 

さて2年目です。誰も望んで低レベル攻略なんてしてるわけじゃないのにレベルが上がりません。うん!完全に環境が悪いな!!

進路は決まっていません。進路の決め方だけは決めました。

来年も桜の咲かない4月1日を迎えるでしょう。
そんなわかりきったことだけを言って3月分ということで。

律儀にカウントした結果

みなさまお疲れ様です。

皆さんの祖父母はあと何回会ったら死にますか?
自分の祖父母は半壊しています。

大学で親元を離れたり就職で街に出たりすると、祖父母と会う機会なんて年に2回あればいいほうだと思います。

さて、あと何回会うとその祖父母は死にますか?

運ばれた病院で自分より若い研修医からDNARを確認されますか?

 

僕の祖父母の生き残り側の人たちは今のところ大変元気そうで安心しています。

でも、いつまで持つのでしょうか。こんな仕事をしているとわかっていたはずの自分の身内の死におびえるようになりました。正確に言えば死に至る“傾き”にです。大動脈解離、心筋梗塞で24時間以内に死んでくれたらとてもうれしいです。下手に脳出血とかくも膜下出血みたいなものでだらだら死んでくれるな、と思うばかりです。

まあ、そんな感じの心境ではあるので元気なうちに会っておきたいなと思っただけなんです。

同じようにこのブログを読んでる奇特な方にもあと何回会ったら会えなくなるんでしょうね。会うことがすべてじゃないとは思うんです。交尾するわけではないので。

まあ世間話できるうちに、価値観がズレて敵になる前に、仲良くしたいと思うわけです。

自分の弱さを大変に感じます。中二病の全盛期は敵側になる人間に対する執着なんてなかったんですけどね。

 

そんな感じですべての事象に「死の宣告」はのっかっているわけです。

ここで言いたいのは「一回一回を大切に!」みたいなきれいごとではなく、突発にそのカウントが0になることがあるということを含意しておくべきだということです。
学生時代からこの手の話は良くしていたんですが、今回石川に行ったときになにもジジババに限った話じゃないんだろうなって思ったんですわ。

むかしなつかしのおともだちに会うよりも、目の前の愚鈍の相手をするのが今後の人生だと思うと悲しくなった、ってそんなまとめです。